太田中学創設期
(明治33年~43年)
― 時代の概要 ―
明治33年3月、茨城県立水戸中学校太田分校の設置が決定し、文部大臣より開校を許可され、同年4月21日、関藤十郎以下6名の職員によって、塙町浄光寺庫裏を仮校舎として138名の入学式が挙行された。こうして、太田中学は歴史の第一歩を踏み出した。同年6月8日、太田町立高等小学校増築校舎へ移転。更に翌年、天井無しの堀立て小屋2教室が急増された。
明治35年4月1日、太田分校は、茨城県立太田中学校として独立し、東京府立第2中学校教諭赤津国太郎氏が本校校長に就任した。
当時、県内の県立中学校は、本校を含めわずかに6校(水戸、土浦、太田、下妻、竜ケ崎、水海道)であり、勿論本校は、県北唯一の県立中学校で、質実剛健をモットーに「益習」の理想を高く掲げていた。
明治36年3月26日、新築校舎(現在地)に移転し、明治37年には、特別教室、講堂などが完成し、12月4日、盛大な開校式を挙行した。(以後、この日が創立記念日となる。)
明治38年3月29日、第1回卒業式が挙行され、初めて54名の卒業生を送り出した。
課外活動としては、野球部、剣道部、庭球部、文芸部、柔道部、遊技部(弓道、相撲、陸上、投擲、フットボール)などがあった。
明治39年10月16日、文芸部内の図書閲覧教室を基盤として地元有志の賛助を仰ぎ、記念文庫を設立。明治41年4月7日に独立し、職員と生徒の係員による運営となった。
また、創立と同時に通学地域を8区に分割し、『保会』が編成された。1学期には茶話会、2学期には1泊旅行、3学期には卒業生を送る会などが行われた。
明治43年11月18日、創立10周年記念式典が行われ、近隣の小学校の児童3800余人を招待し、2日間に渡る大運動会が催された。
また、この頃には、同窓会、益習会など校内部の組織も充実し、対抗試合などでも優秀な成績を残し、太田中学の名を県下に轟かせるようになった。
1900年
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